私が転職を決めるまで その3 ~1回目の適応障害発症~

 

こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。

 

今日は会計年度任用職員として新しい職場で初勤務の日でした。

 

後ほど詳しく記事にしますが、私のことを人間扱いしてくれる職場って存在したんですね、というのが素直な感想でした。

 

 

今の職場が普通なのか、前職場が異常なのかとか、いろんなことを考えてしまいますが、転職して本当によかったなということです。

 

前職場で2度も適応障害にさせられているのですから、こう思うのも無理はありません。

 

今日は、1年目の秋に適応障害になったときの話をしようと思います。

 

エスカレートしていくA主任からのパワハラ

 

5月末に体調不良を訴えたあと、1週間ほどはA主任の私に対する当たりがソフトになりました。

 

しかし、1週間を過ぎたころ、切羽詰まったA主任が私に以前のように八つ当たりを再開し始めると、そこから一気に私に対する当たりが強くなりました。

 

A主任が主担当業務のイベント手伝いでも、なぜか私ばかりが八つ当たりされたり、私に無茶振りしたりする始末。

 

日々繰り返される大声での叱責。

 

私の脳みそは次第にマヒしていったんだと思います。

 

こんなこともありました。

 

振替休日を取った日に、お構いなしに個人LINEに連絡が来たのです。

 

私に落ち度があったにせよ、A主任はひたすら執拗に責めて来るのでした。

 

そして10月に入る前、いわゆる試用期間が終わるころ、公用車で2人きりで出かける機会があったのですが、車内で次のようなことを言われたのを覚えています。

 

「あなたさ、試用期間終わるんだよ。いつまでお客さん気分でいるんだよ。国のキャリア官僚を目指しているあなたの同期は今頃上司に死ねとか殺すとか言われながらも歯を食いしばってるんだよ。そのくらいの想いでやっていかないとだめだよ。別にいいんだよ、淡々と仕事したって。でもそれじゃあつまらないじゃん。…」

 

出た。「想い」

 

そして相変わらず自分の仕事観を他人に押し付けてくる感じ。

 

 

この人、正常じゃないと思うと同時に、全身から力が抜けていくのがわかりました。

 

A主任は数年前に霞が関に出向経験があり、周りの話だとそのころからおかしくなりだしたとのことでした。

 

別にここで霞が関の省庁を批判するわけではないですが、その時の同僚の「仕事に対する熱い想い(笑)」に感化され、それをそのまま現職場に持ってきてしまったようなのです。

 

今時、部下に「死ね」「殺す」っていう上司なんているんでしょうか。

 

遠回しに私にそう言いたいっていうことでしょうか。

 

ともかく、その火の粉を私がもろにかぶり続け、半年が過ぎようとしていたころ、私の主担当業務が立て込み始めます。

 

私、ついに倒れる

 

10月に入り、海外事業が急遽動き始めます。

 

市長が経済交流の名目で外国に行き、要人と面会したいといきなり言い出したため、急遽ロジなどの調整業務が入ったのです。

 

ロジの調整には、現地コーディネーターとの連絡調整、Wifiなどの機器レンタル、航空チケット手配、旅費支払いなどなど、とにかく多岐にわかる業務が含まれます。

 

もちろん、ロジなどの調整なんてやったことがないし、綴りを見ただけではスムーズに進められるわけはないですが、「あなたが担当だから」ということだけで、スムーズに仕事が進められない私はA主任をはじめ、周りから相当つつかれていました。

 

しかも先述の業務を主担当が一人でやらなければならないのです。

 

主担当がほぼワンオペで仕事を回すことになっていた、というのが前職場最大の欠点であるように思います。

 

同じ時期に、別に主担当業務として持っていた補助金の申請が立て込み、こちらもパンク寸前になりました。

 

 

一般的に書類の標準処理期間は1か月程度ですが、その期間を上回っていたことなんてざらでした。

 

それほどまでに業務がいっぱいいっぱいだった中、相変わらずA主任は、思い通りに動けない私に対して大声で罵声を浴びせ続けるのでした。

 

決まって二言目には、「いい!?主担当はあなただから。俺じゃないから。他人事みたいに傍観すんなよ!!!!!!!」

 

こういったことを日常的に浴びせられていたため、私は他人を頼ることができなくなっていったのではないかと思います。

 

そしてついに、身体と心に異変が現れます。

 

ある日の朝、尋常でないほどのだるさと、下腹部の鈍い痛みを感じました。

 

全く身体を起こすことができませんでした。

 

課長に電話で「5月の時みたいな症状が出たので休みます」と話したら、一言、「早めに医者かかれ」と言われました。

 

適応障害の診断下る

 

当時一人暮らしをしていたので、週末に実家に帰ることにしました。

 

両親の前で、今の心身の状態と、職場でのことについて話していたら、突然泣き崩れてしまいました。

 

こんなに嫌な思いをしているのに、あの職場に働きに出なければならないと思った瞬間、とてもやるせない気持ちになったのでしょう。

 

明らかに心に異常をきたしているため、メンタルクリニックを待たず1週間年休をもらうことにしました。

 

定期的に課長と連絡を取り合う中で、あの職場に戻るのであれば、A主任と一切かかわらない状況にしてもらいたいことを話しました。

 

その結果、「A主任とペアの仕事(海外担当など)は担当から外す」「A主任から離れた席に席替えする」ことになり、職場の環境調整が行われたのでした。

 

後日、メンタルクリニックを受信したら、適応障害と診断されました。

 

 

環境調整がなされたので、この時は療養休暇を取得しませんでした。

 

今考えれば、取得してしまったほうが良かったかもしれませんが。

 

こうして、私は、市役所入庁半年で先輩職員のパワハラが原因で適応障害を発症したのです。

 

環境調整をしてもらい、A主任とかかわることもほぼなくなり、業務も無理のない範囲で進めていましたが、この後、さらに心に負担をかけてくる人間たちが現れるのです。(続く)