私が転職を決めるまで その4 ~私をいたぶる人たち~
こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。
社会復帰2日目に突入しました。
昨日も少し触れましたが、同じ職場の方々は仕事を手厚くフォローしてくれています。
本当に、こちらが恐縮してしまうくらいです。
恐縮のあまりなかなか仕事にならずアタフタしてしまいますが、職場の方々は決して声を荒げることもなければ焦らせてくることもありません。
前職場と比較すると、同じ役所でもこんなに差が開くものなのだろうかと不思議で仕方ありません。
今日は、私を適応障害に追い込んだA主任の他にも、同じ課内にいた、私に嫌がらせをしてきた2人組の話をしたいと思います。
昭和タイプの体育会系、B主任
B主任は私の右隣に席がありました。
私が配属された日に、「この人、公務員らしくないな」という印象を感じた人でした。
法律や規則にしっかり則った事務をするという点では尊敬していたのですが、時折私に対して高圧的な態度をとってくるのが耐えられませんでした。
パワハラの度合いで言えば、B主任よりも悪質だった時も多いです。
「カス!!」「ボケ!!」「バカじゃねえの」という汚い言葉を使って罵ってくることもありました。
また、謎に因縁をつけてきて嫌がらせしてきたこともありました。
私が一年目の10月に適応障害を患い、休んだことを、本人曰く「面白おかしく」ネタにしてくるのです。
「またお腹痛くなってんなよ」とか、「おまえすーぐお腹いたくなるから話しかけられねえな」とか、「(2年目初日に)俺はお前にストレスというストレスを浴びせ続けて鍛えることにしたからな」とか。
掃除中にゴミを袋に入れるのが下手だと、箒で殴られたこともあります。
今考えるととても狂気の沙汰ではありません。
面白おかしくも何ともありません。
もちろん、これを聞いていた周りの職員が誰1人として「なんでそんなこと言うんですか」と声をかけることもありません。
A主任を含め、笑ってくる人間がほとんどでした。
また、口癖のように私に言ってくる言葉がありました。
それは、「仕事できないくせに」です。
「お前は仕事できねえんだからせめて気を使えるようになれ」「仕事できねえくせに一人で回そうとするんじゃねえ」「お前は3年目なってもできねえんだな」などなど、枚挙にいとまがありません。
仕事をまともに教えてくれなかったくせに、仕事の覚えが悪いのが私に原因があるかのような言い方をして責めて来るのです。
もっとも、「これはなぜこうなるのですか?」と質問して「それはね、こういう理由だからだよ」という答えが返ってきたことは1度もありません。
だいたい、「お前の日本語の意味が分からない」「お前がそう考える意味が分からない」からはじまり、直接的な答えを言わず私に気づかせようとしてくるような答え方をしてくるのがお決まりでした。
3分で終わるやり取りに20分程度かかるのは日常茶飯事でした。
まあ確かに、答えを詰め込むいわゆる「銀行型教育」よりかは、自分で主体的に気づかせる教育のほうがいいと唱える教育関係者もいるでしょう。
しかし、市役所は学校でも更生施設でもありません。
効率よく仕事を回すために職員は最善の努力をしなければならないと思います。
話が脱線してしまいました。
また、これはA主任もそうだったのですが、お客さんの前で罵倒されたこともあります。
「できねえくせにやるな、俺に変われや」「頭使えやボケ」これは、B主任からお客さんの目の前で本当に言われたことです。
一時期、半年ほど無視をされ、円滑に仕事が進まなかった時もありました。
私が謝ったことで人間関係は修復しましたが。
よくよく考えたら、無視をされたきっかけは私に落ち度がありましたが、それでも謝るまで無視するって、先輩職員のすることでしょうか?
B主任は、私が2回目の適応障害になり職場を去るまで、ずっと私と同じ課に居続けました。
B主任の存在も、私の心を慢性的に蝕んできた一つの大きな要因と言えるでしょう。
B主任の取り巻き、C主任
C主任は私の正式なOJTでした。
私が入庁したばかりの時はA主任にいたぶられる私を気にかけてくれていました。
1回目の適応障害の時も、「力になるよ」と、私のフォローをしてくれました。
しかし、それは最初のうちだけにすぎませんでした。
C主任はB主任と仲が良く、プライベートでも付き合いがあったようです。
私が1回目の適応障害から復活しかけてきたころに、仲の良いB主任と結託して私のことをいじるようになってきました。
最初は「ややめんどくさい」と思っていた程度ですが、私もへらへらしていたからか、だんだん笑えないレベルになっていきました。
B主任と同じく「お前は弱いからダメなんだ。もっと鍛えなければならない」というマインドで私に接してくるようになったのです。
それだけならまだいいのですが、そこに嫌がらせがプラスされてきたので、余計なストレスを感じるようになりました。
まずは、飲み会の際のアルハラ。
一度、飲み会で粗相をしてしまい、B,C両主任から叱られたことがありました。
当然私は、「飲みすぎてはいけないんだ」という認識になり、飲み会ではお酒を飲みすぎないように心がけるわけです。
しかし、そんな私を見て「もっと飲めよ。グラス空けろよ。お前、俺らこの前叱ったけど、だからといって飲まないのは違うからな。」と、明らかに昭和の体育会系のようなハラスメントを私にしてきたのです。
当然、周りは見て見ぬふりです。
飲んでも、飲まなくても何か言われる。
わからないことを質問してもしなくてもキレられるように、常に何をしていてもキレられる状況に置かれていた私は、このような環境に4年間いたことで、慢性的に心を病んでいったのだろうと思います。
また、私の家の敷地内に入って車のナンバーの写真を盗撮されたこともありました。
あの時はさすがに弁護士相談も考えましたが、そこにかけるコストや労力を勘案して思いとどまりました。
要するに、B、C両主任は、私が下っ端だということをいいことに、やりたい放題を尽くしてきたのです。
一度、私は2人に「めんどくさいのでやめてください」とキレたことがあります。
それを聞いた2人は逆ギレし、「めんどくさいだと?てめー誰のおかげで仕事回せてると思ってんだよ。もう助けてやらねえからな?」と、不満を口にするならお前が回さなければいけない仕事で困ったときがあっても一切助けてやらないぞと脅してきたのでした。
こうした一連の出来事から、私は「何を言われてもヘラヘラして言い返さないようにしよう、そうしないと人間関係が破綻するんだ」という風に学習してしまい、A主任のパワハラを避けて行動するときと同じく、ひたすら委縮して日々を過ごしていたんだと思います。
また、C主任は時間外労働を遠回しに強制してきました。
「俺が若いころは事務作業を覚えるために土日も出た。仕事を覚えるために土日も綴りを見に来た。お前の仕事がうまくいかないのは、そういう仕事に対する想いが足りないからだ」とくるわけです。
しかもA主任のパワハラ後にです。
C主任も、私が2度目の適応障害で倒れるまで同じ部署にいました。
A、B、C3主任によるメンタルへの悪影響
3名から受けてきたハラスメントまがいの出来事による私のメンタルへの悪影響をまとめると、
- 「とにかく何をするにも委縮するようになった」
- 「聞けばすぐ解決するような質問でも、罵倒されるのを恐れ、いくら時間がかかっても自己解決するようになった」
- 「ハラスメントまがいのことを言われ、それをため込むうちに、メンタルがマヒしてきた」
の3点だと思います。
現職場の天国のような環境と比べると、私は地獄の1丁目に足を踏み入れていたのだなと、恐ろしい気持ちになります。
まぎれもない職場いじめだと、強く思います。
このような環境に3年と少し在籍していた私は、4年目職員となり、こういった人間関係に加え、担当業務の責任も重くなっていき、とうとう2度目の適応障害を発症することになります。(続く)