私が転職を決めるまで その11 ~社会復帰のために、私が取り戻さなければならないもの~

 
 
こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。
 
 
なかなか毎日更新というわけにはゆきません。
 
 
先週はとても久しぶりに5連勤したので、週末に疲れがどっと出てしまいました。
 
 
働く気持ちは満々なんですが、身体がなかなかついてきませんね。
 
 

 
 
身体が鈍るってこういうことなんだなと感じています。
 
 
さて今日は、退職願と離婚届を提出してからのお話です。
 
 
前回のお話はこちら👇
 

淡々と手続きは踏んだものの

 
 
退職願を出したことで職場と縁が切れる目処がつき、さらに離婚届を出したことで前妻とその家との縁が完全に切れました。
 
 
その日、前職場から帰ってくる車の中から見える景色は全くちがいました。
 
 
「ようやく、抜け出せるかもわからなかった地獄の日々からこれで抜け出せるんだ」という気持ちでいっぱいでした。
 
 
少なくとも昼間はそんな気持ちでした。
 
 
しかし、厄介なのは夜でした。
 
 
もともと適応障害で精神的に不安定だということもあり、夜はなんとも言えないほど虚しい気持ちになり、沈むのでした。
 

 
もう嫌な人間とは縁を切れるんだ、という気持ちとは別に、「自分はここまで頑張ってきたのに、こんな結末なんだ」と、周りと比べてはいままで頑張ってきたことと結果が全く見合っていない現状を嘆くばかりでした。
 
 
虚しいので、毎晩のように街に繰り出しては、朝まで飲むという不健康な日々を送ったこともありました。
 
 
もっとも、酒の力だけでは虚しさなんてはれませんでしたけれど。

 
 

自分に今ないものってなんだろう?

 
 
虚しい日々の中で、そんなことを何度も考えていた結果、私自身にはあるものがなくなっていることに気がつきました。
 
 
それは、「自己肯定感」です。
 
 
正しくは、「もともとあったけど、劣悪な環境の中で自己肯定感が殺された」という言い方になるでしょう。
 
 
私は、今でこそ前職場が嫌いですが、入庁当初は夢と希望を抱いていました。
 
 
「私の良さを認めて採用してくれたこの職場で、自分は頑張るぞ!」と思っていました。
 
 
しかしその自己肯定感や自信は粉々に打ち砕かれました。
 
 
結婚もそうでした。
 
 
やっと、私の良さを認めてくれる人が現れた!
 
 
私が世界で一番幸せだ!と思ったこともありました。
 
 
恋愛や結婚生活のおかげで、ストレスフルだった仕事もなんとか乗り切れるようにもなっていました。
 
 
それは、大事な人を守るとか、大事な人から愛されているとかいう自己肯定感に強く支えられたからなんだなと感じています。
 
 
適応障害になり、離婚、退職となった今、私を支えていた自己肯定感の二本柱はどちらもポッキリ折れてしまっていました。
 

 
 
自己肯定感が喪失すると、なかなか厄介なものでした。
 
 
ひたすらに虚しくなるし、ひたすらに自分を責める夜がやってきます。
 
 
今だから「あの時は自己肯定感がなかったんだ」と振り返ることができますが、その当時は「なんで私はこんな運命を歩まなければならないんだ、何か悪さしたか?何か過ちを犯したか?」という思考回路になることしかありませんでした。
 
 
自分にとって邪悪なものをスッパリ断ち切って、寛解までまた一歩近づいたかと思いきや、またどん底に突き落とされた気分になるのでした。
 

 

それでもどん底には何かが落ちていた

 
 
自己肯定感が殺され、どん底な気分を味わっていた私は、自分のInstagramのアカウントに意味深な投稿をしたことがありました。
 
 
一見すると「私はこれから自殺します」というメッセージを込められていると解釈されてもおかしくないような書き方だったと思います。
 
 
追い込まれすぎててネガティブになっていたんでしょう。
 
 
それを見て「何があったの」とDMを送ってくれたのは、中学時代の友人でした。
 
 
それも、一人ではありませんでした。
 
 
「ごめんね、別に死のうと思ってるわけじゃないんだけど、いろいろあってね」から始まり、一気に食事の約束が3件くらい決まった日がありました。
 
 
職場と家庭で完全に居場所を失うと、本来自分の周りにいた人たちのことさえも見えなくなってしまうから恐ろしいです。
 
 
私には古くからの友達がちゃんといたのでした。
 
 
また、私は虚しい夜を朝まで飲んで過ごすなんてこともあったと先ほど書きました。
 
 
(本当は服薬中の飲酒ってあんまりよくないのですが、、これを書いている現在経過が良いのでよしとします。ただ、おすすめはしません!笑)
 
 
一軒、お客さんに対してスタッフさんがとてもフレンドリーな接客をしてくれるお店があったので、そこに通い詰めていました。
 
 
そこはスタッフさんだけではなく、常連のお客さんもみんなフレンドリーでした。
 

 
私がその店に一番最初に飲みに行った日は、スタッフさんと常連さん曰く「全く覇気がなかった」とのことでした。
 
 
その日に、私は今の状況をすべて話したのです。
 
 
仕事のストレスが原因でうつっぽくなって、仕事を休んでいること。
 
 
それが原因で、奥さんと離婚したこと。
 
 
今とても虚しいのでとりあえず飲んで気を紛らわせていること。
 
 
別に、「そんなの大したことない。元気出してよ」なんてことは言われません。
 
 
スタッフさんはただただ私の話を聞き、私を客として、価値ある人間と見て接してくれていました。
 
 
私はそれが店員と客の関係の上で成り立っていることは承知の上でも、それでもとてもうれしかったのです。
 
 
居心地が良くなった私は、以後も定期的にそのお店に通っては飲み、初めて会う人に身の上話をしたりして、楽しい時間を過ごしました。
 
 
そのうちにそのお店に飲みに行くのが一つの楽しみになっていました。
 

 
これは、お酒を飲んで気分が高揚するというのも一つの作用だと思いますが、それ以前に「私」という存在が存在価値を認められ、居場所を見つけることができたが故の心情の変化だと思っています。
 
 
私は今でもこの節目を大事にしています。
 
 
そして、改めて、自分が元気になり、社会復帰していくために必要なものが「自己肯定感」なんだなということがハッキリわかりました。
 
 
私にやることは見えていました。
 
 
それは「殺された自己肯定感を復活させること」でした。(続く)