私が転職を決めるまで その12 ~何かをつかんだその果てに~(サポートステーションとの出会い編)
こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。
拙ブログを開始して半年近くが経過しようとしています。
どうやったら収益が上がるのでしょうか??
Twitterでフォロワーを獲得するだけでは一過性の効果しかないのだろうか?と思ってしまいます。
検索エンジンで「適応障害 公務員」と打ったら上位に出てくるくらいじゃないとだめなんですね。
そうなるためには愚直に頑張るしかないですね。
「継続は力なり」といいますし、まぁゆるりと頑張ってみましょうかね。
以前も紹介させていただきましたが、私はブログ執筆にあたりこちらの書籍を参考にしています。
これからブログをはじめてみようという方はぜひ参考になさってはいかがでしょうか?
私もこれを1日で読み、その日のうちにブログを開設しました。
さて今日は、前回までシリーズでお送りしていた「私が転職を決めるまで」のこのコーナー、今までどんよりと重く暗い話が続いていましたが、ついに転職の決断に至り、今日の私につながるまでのお話になります。
前回までのお話はこちら👇
「自己肯定感」を高めるために実践したこと
私は退職及び離婚が決まった後、今まで味わったことのない虚しさを味わいました。
その中で、また上へあがるために必要なことがわかりました。
それは、「殺された自己肯定感を取り戻すこと」でした。
上へあがる、すなわち、この実質ニートの状態から、また働ける状態に自分を戻すために。
社会復帰がいつになるかはわかりません。
ひょっとしたら、3か月先、1年先、はたまた10年以上先かもしれません。
でも、せっかくつかんだものがあるのですから、やってみようと思いました。
私の自己肯定感が失われていた当時の状態を分析すると、私は以下のマイナス要素をかかえていたように思います。
- 対人関係のトラウマ
- 自分自身に価値がないのではないかという不安
対人関係のトラウマは、前職場で形成されたものでしょう。
私が何か言うとキレられ、罵倒されていた日々を過ごしていたからです。
「では何も言わなければいいのではないか」と思えば思うほど口ごもるようになり、プライベートでは口が達者になるのですが、いざ仕事となると全く自分の意見を言えませんでした。
そんな状態で、誰かと意思疎通を図らなければならない仕事という行為そのものを行うことなんてできるわけがありません。
この辺りを克服しないと、社会復帰にあたって前に進めないと思いました。
サポートステーションとの出会い
私は、社会復帰にあたり、情報収集を行いました。
その中で一番最初に出てきたのが、サポートステーション(通称サポステ)でした。
サポートステーションとは、国委託で、働くために一歩踏み出したい15歳~49歳の若者を支援する支援機関です。
サポステのホームページがより詳しいので参考になさってください。
社会復帰するにあたり、具体的にこうすればいいんだということがわかっていれば、苦労はしません。
自分は定年まで安定で働くと思っていた中で予想外の出来事があり、職を失ったわけなので、なにをどうすればよいのか全くわからないわけです。
そんな漠然とした不安にも、サポステは寄り添ってくれるのです。
サポステに連絡を入れ、話だけでも聞きたいとのことで職員さんと面談の時間を取ることができました。
後日、私が住んでいる町のサポステに行き、例のように私はこれまでの顛末をすべて話しました。
こんなことがあり、働くこと、他人とのコミュニケーションが恐怖です。
私は今、心理的に大きな障壁があるような気がしています。
どうすればいいでしょうか?と。
職員の方は、定期的なカウンセリングを行ってくれる旨を教えてくださったほか、サポステ内でやっているセミナーの紹介をしてくださいました。
そのセミナーの一つが、私がかかえていた「対人関係のコミュニケーションの不安」を克服する大きな大きな一歩となったのです。
私が変わった(というより、自信を取り戻した)コミュニケーションセミナー
サポステの職員の方に、私は「とにかく職場の人間関係がトラウマで、その不安を払しょくしたいんです」という旨を強く伝えました。
すると、職員の方から案内されたのは、「コミュニケーションセミナー」というセミナーでした。
内容としては、司会業などのコンサルを行う外部の会社の方を講師としてお招きし、社会で必要なコミュニケーションのスキルを養成する、というものでした。
2つ返事で受講することにし、全6回のセミナーの初回に早速参加しました。
初回参加者は講師の先生との面談があるとのことで、私は現在抱えている困り感をお話ししました。
前職場でとにかく人間関係の構築に苦労したこと。
何を言われるか怖く、コミュニケーションの際に自信が持てないこと。
講師の先生は、そんな私を次のように分析してくださいました。
「職場の先輩に対し負の感情を抱えてしまうのですね。ですからそれが声のトーンにも表れてしまって、相手に悪い印象を与えてしまっていたかもしれません。でも、これはトレーニング次第で絶対に変わります。トレーニングし、自信をつけることで、それは確実に自分のものになります。声色一つだけでも、相手が受ける印象は大きく変わるものなのですよ。」
私はそれを言われたときにハッとしました。
確かにそうだ、と思いました。
だからといって、パワハラの類は許されるものではありませんが、ストレスの影響で私から愛嬌というものが消え去っていたということなんだなと思いました。
不思議なことに、それを言われた時に、講師の方から自分のことを否定された気持ちにはなりませんでした。
むしろ、課題とこれからやるべきことがはっきりしたので、やったるぞ!という気持ちになりました。
私は全力でセミナーに参加することにしました。
サポステのセミナーで得たもの
セミナーでは、コミュニケーションに必要な初歩の初歩から、声を出すことで実践する時間があります。
発声法、滑舌、相槌、否定しない話の聞き方などなど…
参加者は皆同じ困り感を抱えており、その点では「参加者全員で自分たちの課題を克服しよう!」という空気が醸成されていました。
コミュニケーションの実践を通し、毎回和気藹々とした雰囲気でセミナーは終了しました。
セミナー終了後は、参加者一人一人に対し講師の方からのフィードバックの時間がありました。
全6回の中で、毎回講師の方と「セミナーの中で気付いたこと」を自分の言葉でアウトプットするのです。
それに対し、講師の方が「その気づきは何につながるのか」などをフィードバックしてくださる時間でした。
そこで講師の方が言うには、「セミナーだけで終わりにせず、日頃からぜひ実践をしてください」とのことでした。
私はサポステの外でも、会う人会う人にセミナーで得たノウハウを実践しました。
すっかり行きつけになった居酒屋のスタッフや常連さん、初対面のお客さんに対して。
久しぶりに会うことになった友達に対して。
全ては社会復帰するにあたって人間関係のトラウマを克服するために、私はとにかく動きました。
そして、セミナーを全て終え、フィードバックなどもいただき、日頃の実践を重ねていったことで、私は以下の知見を得たと思っています。
・自分の振る舞い方次第で相手の反応は変わってくるということ
・会話の始まりや呼びかけの際、必ず相手の名前を呼んであげること
・人と打ち解けるためにはとにかく相手の話をうるさいくらい相槌を打ちながら聞いてあげること
上の3点を実践するだけで、初対面の方と話す際も、壁が次第に取れてくることがわかるのです。
また、これは、自信を新たに「得た」というより、「取り戻した」という感覚が近いかもしれません。
私はもともと、他人とのコミュニケーションが苦ではなかったはずでした。
中学、高校、大学と、人間関係で悩むことはまずありませんでした。
それが社会に出て、前職場に就職した結果自己肯定感をズタズタに切り裂かれ、その後結婚及び離婚を経験したことで壊滅的な状態になってしまったのでした。
私は、そこで「私はもともとできる人間だったんだ。私にはそれを取り戻すリカバリー力があるじゃないか!」と言う、新たな気づきを得たのでした。
さて、自己肯定感を着実に取り戻し、リカバリー力があるということもわかった私は、さらに上を目指していくことになります。(続く)
おひさしぶりです。
おひさしぶりです。
すっかり更新が滞っておりました。
およそ半年間、ブログ執筆をお休みしていました。
理由は、現職場の正職員受験勉強のためです。
筆記試験の勉強のために、仕事以外の時間を割かなければなりませんでした。
大学生でも、公務員試験勉強は前年の夏休みころから始める(しかもいいかげんなやつは講義をさぼってまで…)中で、ワタシは仕事をしながらの試験対策だったため、ブログ執筆の余裕などないわけです。
肝心の結果は、不合格でした。
厳密にいうと、筆記試験はパスしました。
そのあとの面接で不合格でした。
いくら現職場で現在進行形で働いていても、競争試験の点数のみで判断されてしまうのか…と思いましたが、法律でちゃんと決められてることですので文句は言えません。
来年、また受けるしかありません!!
前を向きます!!
あと1年現職場で働き続けることで、「どうやったら面接が突破できるのか」ということも見えてくるかもしれませんしね!!
というわけで。本ブログいよいよ再開です。
前のお話の続きから始めようと思いますが、それは次回ということで!
私が転職を決めるまで その11 ~社会復帰のために、私が取り戻さなければならないもの~
淡々と手続きは踏んだものの
自分に今ないものってなんだろう?
それでもどん底には何かが落ちていた
私が転職を決めるまで その10 ~ついに、退職の決断~
こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。
今日で1週間が終わります。
今週は本格的に現場に出たりと、心も身体も消耗する1週間でした。
そのため、「毎日更新する!」と意気込んでいた拙ブログも、更新が滞ってしまっていました。
まぁそれはそれで仕方ないと割り切ります。
ゆっくり体力をつけていき、毎日ブログを書ける余裕が出てきたらまたやればよいのです。
適応障害からカムバックしたんだから、これくらいならできると意気込みます。
さて今日は、遠出から帰ってきてメンタルがある程度回復し、「決断力」が戻ってきてから、具体的にもろもろの話を進めっていったお話です。
前回のお話はこちら👇
次に進もう
1週間の北海道旅行から帰ってきた私は、以下の3点を進めていく決断をしました。
・別居中の妻と離婚する
・離婚というタイミングに合わせ、退職願を書く
・来年4月復職をめどに、ゆっくり休む
離婚については、別居を続けるにせよ関係を終えるにせよ「もうあの家には戻りたくない」という気持ちが日に日に強くなっていっていましたので、それ以外の結論に落ち着くということが考えられませんでした。
改めて義実家を訪問し、妻本人とその両親に、筋を通す意味でも改めて話をしに行きました。すると、
「もう話はついているはずです。さっさと離婚届を作ってください。そして、2人の共通費用もろもろを返戻してください。」
とだけ言われ、後日私の荷物をすべて引き上げ、物理的には完全にお別れを果たしました。
離婚届は妻の実家がある自治体(私の前職場ですw)に出さなきゃいけないのに、別自治体に住む私が準備し、それを妻実家に郵送し、書いてもらった後に郵送してもらい、私が出しに行くという3度手間4度手間もかかるような手続きを経て(妻側が用意しろという話ですが。そうすれば手続きは一度で済んだはず。まあ相変わらずいろいろ筋が通ってない人たちでした)、10月半ばに離婚届を提出しました。
共通費用の返戻分は即日振込みました。
清算は前妻がしてくれて、私は一切チェックしていませんが、まぁ仮に額が多かったとしても手切れ金と思えばなんてことないと思い、額面通り支払いました。
これで完全に関係がすっぱり切れました。
私の戸籍の付票に、ついにバツが付きました。
さて次は退職願の提出です。
離婚と同時に「もうこの町には住めない」という考えに至ったので、退職の決断は必然的でした。
それは、「仮に部署異動してもらっても勤続は無理だ」という意味にもなります。
それもあるし、第一に私をいたぶりまくり、適応障害に追い込んだ人間がいる職場にて、無理してでも働き続ける必要があるでしょうか??
私は離婚届を出したその足で、課長に退職願を提出しに行きました。
先ほど離婚届を提出してきたという話もしました。
「仮に引き留めがあったらどうする?」と聞かれたので、
「逆の立場で考えてください。この町では気まずくて仕事できません。」と言ったら、
「確かに。それは俺も嫌だ」と言われました。
退職願は即日受理され、1か月後には受理通知が自宅に届きました。
有給をすべて使っての退職だったので、退職は12月初旬付けでした。
「本当の安定って何か?」を考えた
私は、市役所の正職員として仕事をしていました。
世間的には、耳にタコができるほど「安定、安定」と叫ばれる職種です。
合コンなんかでも「地方公務員」というと人気らしいです。
クレジットカードやローンの審査も通りやすいですしね。
淡々と仕事をしていれば(いや、仕事しなくても席にいれば)、お金は支払われます。
それだけならば本当の意味で安定でしょう。
しかし私は「退職」という決断をしました。
それはなぜか。
「生活の安定」「お金の安定」「ステータスの安定」以前に、「心の安定」が保たれなければ、何の意味もないと思ったからです。
前職場の部課長級の表情を見ればわかります。
「安定」という目に見えない称号にしがみついた挙句脳みそがバグり、アンドロイドのように仕事をしています。
私はそんな風には絶対になりたくないとも思いました。
そして繰り返しになりますが、「心の安定」や「自己肯定感」といったものを積極的に殺しにかかってくる人間とはキレイさっぱりお別れしたいと思ったからです。
私が昔から好きなバンドが、こういった時の心情をシンプルに歌っていました。
本当の安定とは、「心の安定」だと思います。
いくら福利厚生がしっかりしていたって、いくら働き続ければ自動的に給料が上がるからって、いくらさぼっても給料が減らないからって、「心の安定」を犠牲にしてまでそこにしがみつく生き方を、私は肯定できません。
私は、法律に基づいて仕事をする公務員という仕事が割と好きでした。
ですがこの時は、「公務員なんてもういいや」と思っていました。
再就職先のことなんて考えず、ただただ目の前の時間を過ごすことにしました。
私は、前職場でズタズタにされてしまった「自己肯定感」を取り戻すために、いろんな行動を起こし始めます。(続く)
私が転職を決めるまで その9 ~よく休み、よく遊べ~
薬を飲んで、ひたすら何も考えなくなった結果
どこかに旅に出たくなった
行ったことのない「あの場所」へ1週間旅に出た
9月後半、夏が終わり秋に差し掛かってきたころでした。
職場、夫婦関係、どちらもこれからどうしようかということについて中途半端なままでした。
考えなければ、決めなければと思えば思うほど、また負のスパイラルに陥りそうな気がしました。
そして、何もしなければしないでまた退屈でした。
そんなとき、「そうだ、旅に出よう」と思ったのです。
旅に出れば、結論が見えてくるかもしれないと思ったのです。
行先は、これまで一度も行ったことがないあこがれの地、北海道を選びました。
札幌か函館あたりをのんびり2泊3日できればいいなと思い、ネットを見ながらプランを練っていたら(プランを練れるくらいにまで余裕ができていたのです!)...
なんと、JR北海道の周遊フリーパス(1週間)が売っているではありませんか。
このチケットは現地でしか買えないとあり、すぐ航空チケットを予約、3日後には北海道に上陸し、周遊パスを買っている自分がいました。
1週間の弾丸ツアーの果てにつかんだもの
あまりにも北海道旅行の内容で埋めてしまうと、このブログ本来の趣旨から逸脱するので控えますが、1週間でJRを使って北海道を1周するプランを立てました。
皆さんご存じのように北海道は広く、本州、四国、九州に住んでいると、およそ日本国内とは思えないような規模の大きさに面食らうことと思います。
私も、降り立った時は「外国に来たのではないか」と思いました。
1週間の行程の中で、札幌、旭川、稚内、網走、根室、函館などなど、主要なところは大体訪れました。
1週間という限られた時間だったので、日中のほとんどを移動に費やしてしまいましたが。
そのせいもあってか、車窓から眺める景色を見ながら物思いにふける時間が多かったように感じます。
今思えば、それがかなり私にとってプラスに作用したのかもしれません。
それから、北海道といえば雄大な景色においしい料理。
それらは、これまで絶望のどん底にいるような気分だった私を、どうでも良い気分にさせてくれるような気がしました。
行く先々で仲良くなった人たちもいました。
1週間の中で、かなり久しぶりに贅沢の限りを尽くした私は、帰るころに、ただ、こんなことを思っていました。
「また来たい。」
心に余裕ができた結果、決断力がよみがえってきた
職場でのストレスから適応障害になり、それがきっかけで妻との関係悪化。
このWパンチのせいで、2か月間ふさぎ込んでいた私は、1週間北海道へ旅に出ました。
物思いにふけったり、雄大な景色やおいしい料理を堪能し、帰るころには「また来たい」と思うようになりました。
これがどういうことを意味するのか。
明らかに、出発前よりも心に余裕ができてきたということです。
出発前は、復職にしても、夫婦関係にしても、考えるだけで負のスパイラルに陥るため、考えたくもなかった。
しかし、旅から帰ってくる頃には、以下のように、自分の今後についてイメージできるようになっていました。
・別居中の妻と離婚する
・離婚というタイミングに合わせ、退職願を書く
・来年4月復職をめどに、ゆっくり休む
イメージした後、はっきりとした決断に至りました。
こうやって文字化すれば、「なんて単純なことか」と思うかもしれません。
しかし、うつや適応障害というのは、こういったことをイメージすることさえも大変困難を極めるのです。
自分の将来のイメージは自分が一番はっきりとできるのに、それすらもできなくなり、ただただ不安だけが押し寄せるのです。
それなのに、心に余裕ができた結果、今後の自分について、自らがしっかりとイメージできて、決断までできるようになるというのは、かなり大きな一歩であったように思うのです。
精神疾患の治療で大事なのは、よく休み、よく遊ぶことで、心に余裕を生み出すことなのかなと、自身の経験則から導き出せたと思っています。
遊ぶには大前提として、よく休むことが必要になりますが。
こうして、リカバリーを果たした私は、実際に離婚届を書いて妻と離婚し、職場に退職願をもっていくところまで進んでいきます。(続く)