私が転職を決めるまで その8 ~うつ、適応障害は薬を飲めば快方に向かうわけではない~
こんにちは、ポンコツハム(@pmkthm)です。
社会復帰から今日で6日目になります。
久々に、身体が重い感じがします。
これが仕事した後の疲労感だったよな、と、少し懐かしい感覚があります。
もちろん前職を休む前の状態は論外ですが…。
久々に社会復帰し、疲れすぎて寝落ちしてしまったので、今日はボリューム少なめに更新しようかとおもいます。
今日は、適応障害が原因で夫婦仲がこじれ、別居することになってから、心がジェットコースターのように波打った時についてのお話です。
やるせなさしかなくなる
別居は決まったが、私の判断能力が弱っていて、具体的な今後の話をすることはありませんでした。
というより、しないようにしました。
しばらく妻と連絡を取らない状態が続きました。
私の気分の浮き沈みはしばらく続きました。
とても虚しいし悔しかったです。
ただ、職場から連絡が来ることはなくなりました。
その点、仕事面については気は休まりましたが、そのかわりに夫婦関係のいざこざ。
何で私ばかりこんなに四方八方から痛ぶられなければならないのか。
私はあなたたちに何か悪いことしたか。
何か恨みを買うようなことをしたのか。
考えれば考えるほど、気分が沈んでいきました。
気分が沈んでしまうので、何も考えないようにしました。
8月から9月にかけて、何も考えずにもぬけの殻のように過ごしていたと思います。
薬が効き始めて、少し上向きになった。が...
9月に入るころ、新しい薬が効いてきたのか、少しは散歩などをするようになりました。
今まで見る気のなかった動画なども見たくなり、布団の中でparaviでドラマを見漁る日々でした。
とは言え何も考えなくても、職場で私をいじめてきた上司のこと、手のひら返しをしてきた妻のこと、そしてその両親のことは嫌でも脳裏をよぎります。
毎晩のように、私をいたぶった人間が夢に登場します。
そしてそいつらに負けてしまった私を、私が責めてしまう。
脳裏をよぎるだけでとてもしんどくなり、布団に篭る毎日でした。
そして気分が落ち、運動もせずただただご飯を食べて寝る生活に戻り、抗うつ薬の副作用もあってか、私は8キロ程度も太りました。
退屈な日々を打破するために、青春18きっぷで遠くまで行くことも考えましたが、大規模なプランを立てようとすると頭が混乱する自分がいました。
こんな旅行の計画も立てられないのかと、自分を責めて、また塞ぎ込みました。
自分が楽しいことですら段取りできなければ仕事なんてできるわけがない、私は使えない人間なんだと、とにかく自分を責め、落ちました。
私は大学まで真面目に勉強していたのに。
私の同期や後輩で社会で活躍している人なんてごまんといるのに、何で私はこんなにできないんだろうか?
とにかく自分を責め出しては止まりませんでした。
意外と理解してもらえない精神疾患のつらさ
これが、うつや適応障害が本当に辛いと言われる所以だと思います。
ただの「体調不良」ではないのです。
というか、「体調不良」という括りで語っては絶対にいけないのです。
「気の持ちよう」で何とかなると思われますしね。
私に至っては、前職場や義理の実家で自己肯定感というものをとことん削られていましたので、自分を支える拠り所もなかったわけです。
誰にも肯定されない上に、自分を肯定することもできなければ、当然気分が良くなるわけがないですよね。
そして何より、服薬して安静にしているからと言って、決して右肩上がりに元気になっていくわけではないということを、当事者以外の人ももう少し知るべきだと思います。
良くなったり悪くなったり、嫌なことを思い出してはそうでもなくなったり、不安になっては自己解決したりを繰り返す日々なのです。
もちろん、数少ない全エネルギーをそこに費やすので、何もできません。
今このブログを読んでくださっている、うつや適応障害の経験者や当事者の方は、「わかるわかる!」と思っていただけるかと思います。
そしてそれ以上に、自分が辛い状況が、誰にも理解してもらえない苦しさというものも同時に、共感していただけたかと思います。
うつや適応障害には、まだまだ市民権が得られていないのが、今日の我が国の現状なんだと思います。
うつや適応障害になったことのない方にはいまいち共感していただけないかと思いますが、これが真実です。
とにかく自分を責め、気分が落ちる毎日でしたが、ここからまた、気持ちが挽回し始めるできごとがあったのです。(続く)